777ブログ _ 速報・短編記事

最新のネット情報を纏めています。

AIは格差の拡大をもたらす! 技術革新が貧困層を生み出した歴史的事実

AIが普及したら起こること。基本的に給料をもらって生きる人間はいらなくなる。
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/05/07/183806

 

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「ひとりで起業してお金持ち」の夢敗れる!人間よりもヤバいコードを吐き散らすAIに愕然
葦原大和 DEEP MAX 2026/04/09

 

 

 

【日本と国際問題】AIは確実に格差の拡大をもたらします!技術革新が貧困層を生み出した歴史的事実
世界史解体新書 2026/03/22

 

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増田俊男 _ トランプをピエロとして操る勢力を知ろう
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/210707

増田俊男 _ トランプ関税自業自得、トランプをピエロとして操る勢力とは
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/07/08/002444

イラン核交渉『原則合意』の舞台裏:トランプ外交と「最大献金者・アデルソン家」の思惑
https://a777777jp.hatenablog.com/entry/2026/02/18/082947

リバタリアニズム、リベラリズム、アナキズムの違い
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14143354

西谷修 _ アメリカ帝国の成り立ちと自由の思想 _ 自由を認められているのは 資産を持っている白人だけ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/01/07/062807

石原順 _ インフレによって国民の預金が政府の借金返済に充てられている
https://a777777jp.hatenablog.com/entry/2026/01/18/065408

戸松信博 _ トランプは FRB を解体しようとしている
https://a777777jp.hatenablog.com/entry/2026/01/31/081357

戸松信博 _ アメリカ経済のグローバル化と株主至上主義の歴史
https://a777777jp.hatenablog.com/entry/2026/02/21/142650

エリートは弱者保護(低所得者矢高齢者に対する保護) に激しい不公平感を抱いている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14097937

“独立”する富裕層  政府による所得再分配は努力して金持ちになった人の金を盗む行為だから許せない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/701.html

藤巻健史 _ 年収30億円富裕税で日本は平等に貧乏な国になる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14084052

低金利政策や量的緩和政策は 貧困層から富裕層へと富を移転させる政策
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14099115

世代間格差は存在しない、格差は資本家階級と労働者階級の間にだけある
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14017544

紙幣をばら撒けばインフレになるという単純な事実が多くの人々には難しすぎて理解できない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14054383

「賃金上がらず予想外」アベノミクス指南役・浜田宏一氏証言 トリクルダウン起こせず…
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14095196

コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/161.html

新型コロナウイルス対策による経済の麻痺は富豪への資産集中を促進する
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/228.html

GDPが増えると物価が上がるので、労働者は毎年貧しくなる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1089.html

アメリカGDPのまやかし 富裕層以外はマイナス成長だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/877.html

GDPの半分以上は企業所得、さらに個人所得の半分は富裕層
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/954.html

GDPとは国民の給料ではないので、国民が貧乏で金持ちが資産を独占しても数字の上では「豊かな国」に見える
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1570.html

中央銀行による金融緩和と政府による現金給付を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/332.html

GDPでは国民所得はわからない _ 日本人の平均月収は15万円以下
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14042843
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/697.html

GDP・経済成長率や株価の上昇に意味は無い _ 貨幣価値が下がったから GDP も株価も名目値が上がっているだけ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/391.html

アメリカの富裕層の税負担が貧困層より低い理由
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1093.html

国家を亡ぼす「狂った税制」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/730.html

アメリカの闇 政治を金で買う超富裕層
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/634.html

アメリカのロビイストは政治家に「この法案を成立させたら何億ドル差し上げますよ」と働きかける
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/530.html

アナーキストが誰にも相手にされない理由 _ 一般大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/737.html

 

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雑記帳  2026年05月03日

AIに生成させた小説

https://sicambre.seesaa.net/article/202605article_3.html

 
 AIが大流行しており、小説を書かせることもできる、と聞いたので、どんなものなのか、と試してみたところ、貧弱な指示に対して、小説を読み慣れていない一般人の私にとってはなかなか読める文学的表現を生成したので、とりあえず第1章までをブログ記事として掲載します。反映してほしかった設定が取り込まれていないところもありますが、私の指示が当ブログの通常である説明口調になってしまっているので、小説としては生成された表現の方がよいのかな、とも思います。それにしても、AIが貧弱な指示でここまで登場人物を自然な感じに動かせるとは、恥ずかしながら知りませんでした。使用したAIは、最も小説の生成に適している、との評価を見かけたClaudeです。題名も、貧弱な指示から「天つ風のゆくえ」と決めてくれました。正直なところ、文学に疎い私には、この題名が適切なのか、的確に評価できませんが。まあ正直なところ、商業流通に乗る水準ではないのはもちろん、同人誌でも優良ならとても読んでもらえないような作品ですし、無料でも最後まで読んでくれる人が私以外にいるのか、極めて怪しいものの、AIに無知な人間にとっては、ここまで生成できるのか、との衝撃があったので、基本的に改行以外は修正せず、ブログに掲載します。

 主人公は、天智天皇の皇后だった倭姫王です。登場人物の生年や倭姫王の母親が蘇我赤兄の同母姉であることなど、史実とは確認できない作中の一部の設定は、私が指示しました。まあ生成とはいえ小説なので、「史実」に忠実に生成させるつもりは、そもそもありませんが。大后は皇后の前身との設定を採用していますが、これは最近の有力説では否定されているかもしれません。全体的な構想はすでにできていますが、第2章以下の指示はまだできていないというか、移動したり食事をしたりしながら、取り入れたい設定がいくつか思い浮かんだので、そうした設定も今後は指示として入れる予定です。第2章も第1章並に人物が動いているようなら、また当ブログで公開しようかな、と考えています。「チラシの裏」の最たるものである個人の無料ブログにならば、この程度のことを掲載しても大きな問題はないかな、と考えています。以下、生成AI小説です。



第一章 飛鳥の春(636〜643年)
 倭姫王が生まれたのは、636年のことである。
 父は古人大兄王子。舒明天皇の第一王子にして、温厚篤実をもって知られた人であった。母は蘇我倉麻呂の娘、倉子という。倉子は夫と気性が似た、物静かな女人であった。
 古人大兄王子には、蘇我蝦夷の娘との間に息子が二人いた。倭姫王の異母弟にあたる二人だが、古人大兄王子は母親の違いを意に介さず、三人をひとしく可愛がった。倭姫王も父の姿を見て育ったせいか、異母弟たちを素直に弟として慕い、三人は父の屋敷の庭をよく連れ立って歩いた。
 倭姫王は、賢さや美しさで人目を引くような子ではなかった。どちらかといえば、凡庸といった方が正直なところかもしれない。それでも父の屋敷に仕える者たちは、口々に「あの姫は日差しのようだ」と言った。傍にいると、なぜか気持ちが和らぐのである。それは父から受け継いだものであったかもしれないし、あるいは生まれつきの性質であったかもしれない。

 古人大兄王子のもとへ、葛城王子が訪ねてくるようになったのは、倭姫王が物心つく少し前からのことであった。
 葛城王子は舒明天皇と宝王女の間に生まれた王子で、古人大兄王子とは父を同じくする異母弟にあたる。626年生まれだから、古人大兄王子より八つ年下であった。
 宝王女は苛烈な人であった。息子の葛城を大王にすべく、幼い頃から乗馬を、漢籍を、政の要諦を叩き込み、怠ければ鋭い叱責が飛んだ。出来が良ければ存分に褒め、甘えさせもしたが、それはまた次の厳しい鍛錬への序章であった。葛城はその期待に応えようと歯を食いしばり、人前では常に隙のない顔をさらし続けた。
 だが、古人大兄王子の屋敷だけは違った。
 異母兄は何も求めなかった。縁側に並んで座り、庭の草木を眺めながら、とりとめのないことを話した。葛城が黙れば、古人大兄王子も黙っていた。その沈黙が少しも苦にならなかった。仏の話になると古人大兄王子の目は穏やかに輝き、葛城はその話を聞くともなしに聞いた。ここでは、誰かの後継者でも、誰かの息子でもなく、ただ葛城でいられた。
 古人大兄王子の子供たちも、葛城をよく懐いた。とりわけ倭姫王は、葛城が来るたびに「葛城の兄様!」と声を上げて駆け寄ってくるようになった。葛城にとってその声は、どこか不思議と肩の力を抜かせるものがあった。

 641年、大王(舒明天皇)が崩御した。
 倭姫王は数え六つであった。天皇の死というものが何を意味するか、まだよく分からなかったが、父の顔が日増しに曇っていくことは子供心にも感じ取れた。古人大兄王子は皇位継承の筆頭候補のひとりであり、宮中の視線が自分に集まっていることを知っていた。しかし、彼が望んでいたのは静かな日々であった。
 その年の暮れ、宝王女が即位した(皇極天皇)。

 642年の春のある日、葛城王子がいつものように古人大兄王子の屋敷を訪ねてきた。
 倭姫王は庭で異母弟たちと遊んでいたが、葛城の姿を見つけて走り寄った。数え七つになっていた。
「葛城の兄様、今日はずいぶん遅かったですね」
「母上に呼ばれていた」
 葛城はそれだけ言って、庭の隅の石に腰を下ろした。いつもより顔が固い、と倭姫王は思った。
「叱られたのですか」
 葛城は少し眉を動かして倭姫王を見た。
「なぜそう思う」
「顔が怖いから」
 葛城はしばらく黙って、それから小さく息を吐いた。
「褒められた。それが、かえって疲れた」
 倭姫王には、その意味がよく分からなかった。褒められて疲れるとはどういうことだろう、と思った。しかし分からないなりに、葛城が疲れているのだということは分かった。
 倭姫王はしばらく考えて、近くに落ちていた丸い小石をひとつ拾い上げ、葛城の掌に乗せた。
「これ、あげます。握っていると、落ち着くから」
 葛城は掌の上の小石を見つめた。何の変哲もない、ただの川原石である。
「……そうか」
 葛城は静かにそれを握りしめた。倭姫王はそれを見て、満足そうに笑った。
 縁側から古人大兄王子がその様子を眺めていた。目を細めて、ただ穏やかに。


第一章 飛鳥の春(続き)――643年

 母の倉子が逝ったのは、642年の秋のことであった。
 倭姫王は数え七つであった。病は長くはなく、あっという間のことだった。古人大兄王子は妻の亡骸の傍らで経を唱え続け、倭姫王は父の背中を、ただ黙って見ていた。泣いてはいけない気がした。父がこれほど静かに悲しんでいるのだから、自分が声を上げて泣いては、父の祈りを乱してしまう。
 倭姫王は母の死を、どこか遠いことのように感じた。悲しくないわけではなかったが、悲しみの形がまだよく分からなかった。ただ、屋敷がひっそりと静まり返り、父の顔から笑みが消えた。その変化だけが、確かな喪失として倭姫王の胸に刻まれた。
 葛城王子が訪ねてきたのは、それから幾日か経った頃だった。
 古人大兄王子と並んで縁側に座り、しばらく無言でいた後、葛城はぽつりと言った。
「大変だったな」
「……兄様も、お父上を亡くされた」
 葛城は少し目を細めた。舒明天皇が崩御したのは前の年のことである。
「俺は、母上がいる」
 そこで葛城は口を閉じた。続く言葉は言わなかったが、倭姫王には何となく分かった。葛城の母は、葛城にとって重くもあり、支えでもある。自分には今、支えてくれる大人が父しかいない。その違いを、葛城は言葉少なに示してくれたのかもしれなかった。
 古人大兄王子が静かに言った。
「姫には、お前もいる」
 葛城は黙って頷いた。倭姫王はその日以来、「葛城の兄様」という呼び方に、以前とは違う意味を込めるようになった。

 翌643年の春、飛鳥に不穏な空気が漂い始めた。
 倭姫王にはまだ、宮中の動きを正確に読む力はなかった。ただ、父の表情が曇る日が増え、屋敷を訪れる客人の声が低く短くなったことには気づいていた。
 上宮王家の長、山背大兄王のことは、倭姫王も名前だけは知っていた。厩戸豊聡耳王子(聖徳太子)の息子であり、かつての岡本宮の大王(舒明天皇)が崩御された折にも、大王位には就けなかった人である。その山背大兄王が、斑鳩の宮で不満を募らせているという話が、あちこちから聞こえてくるようになっていた。
 古人大兄王子が訪ねてきた客人と言葉を交わすのを、倭姫王は廊下の陰からそっと覗いたことがある。客人の声は聞き取れなかったが、父が困ったように眉を寄せているのは分かった。古人大兄王子がああいう顔をするのは、誰かに何かを求められて、しかし自分にはどうにもできない、と感じているときである。
 倭姫王は廊下の柱に背中を預けたまま、庭の方を向いた。春の風が吹いて、白い花が散った。

 その頃、飛鳥の宮では水面下の動きが加速していた。
 今の大王(皇極天皇)は、山背大兄王をかねてから深く恨んでいた。かつて、唐からの使節・高表仁が冊封を迫った折、山背大兄王が父(聖徳太子)の名を引いてこれに激しく反論し、倭と唐の関係を揺るがせた。あの場の混乱を、大王は忘れていなかった。そして今、山背大兄王が生きている限り、葛城王子の即位への道は盤石にはならない。
 蘇我本宗家も、上宮王家を疎ましく思っていた。古人大兄王子を次の大王にと考える蘇我入鹿にとって、何かにつけて口を出してくる上宮王家は邪魔な存在であった。
 宝皇女(皇極天皇)の弟、軽王子もまた、この動きに加わっていた。王族としては傍流の生まれながら、姉が大后、さらには大王となったことで地位を上げた軽王子は、その野心を表に出すことなく、しかし着実に機会を窺っていた。上宮王家の討滅は、自らが動かずとも旨みを得られる好機であった。
 倭姫王が縁側で異母弟たちと貝を並べて遊んでいたその日、飛鳥の宮では、上宮王家の命運を決する話し合いが、静かに、しかし確実に進んでいた。


第一章 飛鳥の春(643年 前半)

 643年11月1日、斑鳩の上宮王家が滅んだ。
 蘇我入鹿の軍勢が斑鳩の宮を囲んだのは夜明け前のことであり、夜が明けぬうちにすべては終わったという。厩戸豊聡耳王子(聖徳太子)の息子、山背大兄王以下、上宮王家の血を引く者は一人残らず殺された。飛鳥にその報が届いたのは、日が高く昇った頃だった。
 古人大兄王子は、その日の夜、ひとりで仏間に籠もった。
 倭姫王には、詳しいことは分からなかった。ただ、昼過ぎに訪ねてきた客人が父と短い言葉を交わして去り、その後から父の顔が変わった、ということだけを感じ取っていた。父の表情が消えた、というよりも、何かが父の中へ深く沈んでいったような、そういう変化だった。
 倭姫王は仏間の前の廊下に座って、中から聞こえてくる経の声を聞いた。母が逝ったときと同じように、中に入ろうとは思わなかった。扉の外で膝を抱えて、ただそこにいた。
 やがて経の声が途切れ、しばらくして扉が開いた。古人大兄王子は廊下に娘が座っているのを見て、しばらく黙っていた。
「……冷えるだろう」
「大丈夫です」
 父は倭姫王の隣に腰を下ろした。師走の廊下は底冷えがした。ふたりは並んで、小さな庭を眺めた。枯れた草が夜風に揺れていた。
「姫は、上宮王家のことを知っているか」
「お名前だけは」
「そうか」
 それきり、父は黙った。倭姫王も黙った。父が今何を思っているのか、正確には分からなかった。ただ、父の手が膝の上でわずかに震えていることには気づいていた。倭姫王はそっと、自分の小さな手を父の手に重ねた。
 古人大兄王子は娘の手を見た。数え八つの、まだ小さな手だった。
 この子が生まれたとき、自分はどれほど嬉しかったか。倉子との間の初めての子だった。男子ではなかったが、そんなことは関係なかった。泣き声を聞いた瞬間、この子を守り続けると思った。それなのに、倉子はもういない。そして今、飛鳥はあの夜のことを経て、取り返しのつかない場所へ踏み込んでしまった。
 古人大兄王子は、娘の手をゆっくりと握り返した。

 上宮王家が滅んで以来、古人大兄王子は物事の見え方が変わっていた。
 入鹿の迫力に押されて同意したあの夜のことを、古人大兄王子は後悔していた。後悔しながらも、あの場で反対できたかどうかは、分からなかった。ただ一つ確かなのは、飛鳥は変わったということだった。
 王位継承の争いに、武力行使がある。それどころか、競合者の一族ごとの抹殺さえ起こりうる。古人大兄王子はそれを頭では知っていたが、それが現実として自分の目の前で起きたとき、これまでとは違う重さで迫ってきた。
 大王に即位できるのは、慣例として四十を過ぎてからとされていた。古人大兄王子は今年で数え二十六である。即位できるとすれば、早くても十数年後になる。しかしその十数年の間に、飛鳥は何度変わるか分からない。そして自分は、有力な大王位候補のひとりである限り、誰かの標的になりうる。
 さらに頭をよぎるのは、異母弟・葛城王子のことだった。古人大兄王子が即位を目指せば、葛城もまた候補者として立ちはだかる。あの聡明な弟と、剣を交えることになるかもしれない。父の異なる弟ではあるが、幼い頃から親しんできた相手だ。その可能性を考えると、古人大兄王子の胸には重い霧が立ち込めた。
 それからの古人大兄王子は、以前にも増して仏の教えに向かうようになった。経を読む時間が長くなり、時おり遠い目をして庭を眺めることが増えた。倭姫王はそんな父の傍らに、静かに寄り添った。何かを言うわけではなかった。ただそこにいた。父が縁側に出れば、隣に座った。父が経を読めば、廊下の外で待った。
 古人大兄王子はそのたびに、娘の存在に救われていた。

 葛城王子が訪ねてくるようになったのは、それから少しして後のことだった。
 倭姫王が「葛城の兄様!」と声を上げて駆け寄ると、葛城はいつものように手をひとつ置いた。古人大兄王子とも、いつもと変わらぬ調子で言葉を交わした。庭の木の話をし、都でのつまらぬ噂話をし、倭姫王の異母弟たちがどれだけ元気に走り回っているかを笑って聞いた。
 しかし縁側に三人で並んで座り、庭を眺めるようになると、葛城はそれ以上多くを語らなかった。古人大兄王子も、無理に話を続けようとはしなかった。
 葛城の内心には、上宮王家のことが引っかかっていた。山背大兄王は滅んだ。次の大王位をめぐる争いは、より剥き出しの形をとりうる。古人大兄王子も、その候補のひとりだ。今はまだ十数年先の話だが、いつかは向き合わなければならない。
 だが葛城はその考えを、意識の端へ押しやった。今ここでそれを考えても、どうにもならない。古人大兄王子はこうして穏やかに傍らにいる。倭姫王は何も知らずに笑っている。この時間は、本物だ。
 葛城は庭の枯れ草を眺めた。それが現実から目を背けているだけだということは、自分でも分かっていた。


第一章 飛鳥の春(643年 後半)

 上宮王家が滅んで後も、飛鳥の表面は穏やかだった。
 大王(皇極天皇)は、上宮王家討滅を指揮した蘇我入鹿をこれまで以上に優遇した。入鹿もまた、大王に忠実であることを示し続けた。もともと蘇我本宗家には、大王あってこその大臣という意識が骨の髄まで染み込んでいた。大王の座を奪おうなどという考えは、入鹿にはなかった。雨乞いの儀式で大王と蘇我本宗家の格の違いを思い知らされたことも、その意識をさらに強めていた。
 ただ、入鹿の中に、かすかな変化が生まれていた。
 上宮王家を討ち、大王に手厚く遇される。誰も自分に逆らえない。飛鳥の政はすべて自分の掌の上にある。その感覚が、じわじわと入鹿の胸に満ちていた。慢心とまでは言えなかったが、油断と呼ぶには十分な緩みだった。それが入鹿自身には、まだ見えていなかった。

 古人大兄王子の屋敷では、師走の寒さの中、倭姫王が火鉢の傍らに座って糸を巻いていた。
 葛城王子が訪ねてきたのは、そんな穏やかな午後のことだった。古人大兄王子と言葉を交わした後、縁側へ出た葛城に、倭姫王もついていった。冬の庭は枯れ色ばかりだったが、空だけは澄んで高かった。
 しばらく並んで座っていると、倭姫王がぽつりと言った。
「葛城の兄様。奇妙なことを聞いたのですが」
「なんだ」
「上宮王家のことです。入鹿さまが勝手になさったことで、他の皆さまは嘆いておられる、と」
 葛城は庭から視線を動かさなかった。
「どこで聞いた」
「侍女たちが話しているのを。乳母も、そう言っていました」
 葛城は少しの間、黙っていた。倭姫王が続けた。
「でも、おかしいと思って」
「なぜ」
「だって、父上があんなにずっと祈っておられたから。誰かが勝手にしたことなら、父上があそこまで……」
 倭姫王はそこで言葉を止めた。うまく言えないのではなく、それ以上言っていいものか、迷っているようだった。
 葛城は内心、舌を巻いた。数え八つの子が、理屈ではなく、父の祈りの重さからあの噂の歪みを嗅ぎ取っている。葛城自身も、その噂を初めて耳にしたとき、すぐに違和感を覚えた。上宮王家の討滅は、一人の人間が独断でできるような話ではなかった。飛鳥の支配層の多くが、それぞれの思惑から同意していたはずだ。それを入鹿ひとりの暴走に仕立てるとは、誰かが意図して流した噂としか思えなかった。
 しかし、誰が、何のために。その答えは、葛城にもまだ見えなかった。
「よく気づいた」
 葛城は静かに言った。
「では、やはりおかしいのですね」
「おかしい、とだけ言っておく」
 倭姫王はしばらく考えるような顔をしてから、小さく頷いた。それ以上は問わなかった。葛城が言えることと言えないことがある、ということを、この子はもう知っていた。

 あの噂はしかし、飛鳥の中に静かに、しかし確実に広まっていった。
 厩戸豊聡耳王子(聖徳太子)の名は、今もなお飛鳥の人々の胸に大きく刻まれていた。その子孫が根絶やしにされたという事実は、誰もが見て見ぬふりをしたいことだった。自分たちも同意したのだという後ろめたさは、誰かに押しつけることができるなら、そうしたかった。入鹿が悪いのだ。入鹿が勝手にやったのだ。そう信じることができるなら、どれほど楽か。
 噂はそういう人の心の隙間に入り込んだ。誰も確かめようとしなかった。確かめれば、自分自身の関わりを認めることになるからだ。
 古人大兄王子の屋敷でも、侍女たちがその噂を口にするようになった。古人大兄王子は何も言わなかった。ただ、そういう話が聞こえてくるたびに、少しだけ目を伏せた。
 倭姫王はその父の様子を見ていた。父の目が伏せられるたびに、あの噂がやはり歪んでいることを確かめるような気持ちになった。しかし倭姫王には、それ以上のことは分からなかった。誰がなぜそんな噂を流したのか、どこからそれが生まれたのか、何も分からなかった。
 ただひとつ分かることは、飛鳥がその噂を必要としていた、ということだけだった。
 冬の風が吹いて、枯れ草が揺れた。空は高く、青く澄んでいた。

(第一章 了)
 
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雑記帳  2026年05月06日
AIに書かせた 小説    平凡な兄弟の生涯
 
 
AIに小説を書かせたところ、予想していた以上に自然な展開と文体だったので(関連記事)、ごく短い指示(1908年生まれと1910年生まれの日本人の平凡な兄弟の関係と生涯を、情感豊かに5000字程度で執筆してください)で小説を書かせたところ(今回はGemini)、やはり自然な感じの小説が生成されました。
 
昨年(2025年)4月にAIに検索させたところ、出鱈目な返答だったことをTwitterで投稿しましたが、その時の印象が強かったため、AIの性能には懐疑的でした。まあ、当時は私がAIを使いこなせなかっただけかもしれませんが。
 
今回は、「1908年生まれと1910年生まれの日本人の平凡な兄弟の関係と生涯を、情感豊かに5000字程度で執筆してください」との簡潔な指示で、どのような生成結果となるのか、検証しましたが、なかなかまとまりのよい文章になったように思います。恐らく現在のインターネット上にはすでに、AIで生成した「小説」が多数掲載されているのでしょう。以下、生成AI小説です。



明治という時代の終わり、移ろいゆく季節の狭間に生まれた二人の男がいました。

一人は明治四十一年(1908年)生まれの長男・信太郎(しんたろう)。
もう一人は、その二年後、明治四十三年(1910年)に産声を上げた次男・健次(けんじ)。

これは、日本の激動を駆け抜けた、どこにでもある、けれど二人にとっては唯一無二であった「兄弟」の八十余年にわたる物語です。


第一章:茜色の幼年期(明治末期〜大正)

信太郎が生まれた1908年、日本は日露戦争の勝利に沸いた余韻の中にありました。信州の山あいの村で、絹糸を紡ぐ小さな工場の倅として生まれた彼は、幼い頃から「長男」という重荷を、誇りとともに背負わされていました。

その二年後に生まれた健次は、信太郎にとって最初の「守るべきもの」でした。
幼い二人の記憶にあるのは、桑の葉が風に揺れる音と、夕暮れ時の空を焼き尽くすような茜色です。信太郎の少し大きな手を、健次の小さな手が握りしめる。それが二人の世界のすべてでした。

「兄ちゃん、置いていかないでよ」
「分かってる。しっかり掴まってろ」

大正に入り、世の中が「デモクラシー」という華やかな言葉に浮き足立っていた頃、彼らは泥だらけになって野山を駆け回っていました。信太郎は寡黙で実直、健次は要領が良く少しお調子者。性格は対照的でしたが、不思議と喧嘩をしても日が暮れる頃には肩を並べて家路につくのが常でした。

1923年(大正十二年)、関東大震災の報が村に届いた時、十五歳の信太郎は初めて「外の世界の脆さ」を知ります。彼は地元の農学校へ進み、家業を手伝い始めました。一方、十三歳の健次は、遠く東京の空に憧れを抱くようになっていました。


第二章:分かれ道と暗雲(昭和初期)

昭和の幕開けとともに、二人の道は分かれます。
信太郎は村に残り、若くして父を助け、家を支える道を選びました。
「お前は、自分の好きな道を行け」
信太郎は、弟の瞳に宿る冒険心を誰よりも理解していました。健次は兄の言葉に背中を押されるようにして、東京の商店へ丁稚奉公に出ることになります。

1930年代、昭和恐慌の荒波が日本を襲いました。
村の繭(まゆ)の価格は暴落し、信太郎は苦渋の決断を迫られる日々が続きます。一方、東京の健次も、景気の冷え込みの中で必死に働いていました。二人は時折、手紙を交わしました。

「兄貴、こっちは少し景気が悪いけれど、僕は元気です。兄貴の作った米が送られてくるのが一番の楽しみです」

健次の手紙の端々ににじむ強がりを、信太郎は行間から読み取っていました。自分は土にまみれ、弟は埃にまみれる。けれど、二人の根底にあるのは「生き抜かなければならない」という、この時代特有の切実な生命力でした。

しかし、平和な時間は長くは続きませんでした。満州事変を経て、日本は泥沼の戦争へと足を踏み入れていきます。


第三章:赤紙と再会(昭和十年代〜二十年)

1937年(昭和十二年)、支那事変が勃発。
最初に召集令状(赤紙)が届いたのは、二十九歳の信太郎でした。
「家を頼むぞ、健次」
出征の日、村の駅で信太郎は、一時帰宅していた健次にそう告げました。健次は何も言えず、ただ兄の軍服の袖を強く握りしめました。かつて、茜色の夕焼けの中で手を繋いだ時のように。

信太郎は北支(中国北部)の過酷な戦場へ送られました。冬は零下三十度を下回る大地で、彼は故郷の桑の葉の緑を思い出しながら、ひたすら銃を握りました。
その二年後、今度は二十九歳になった健次にも赤紙が届きます。健次が送られたのは、南方のジャングルでした。

一人は北の凍土、一人は南の密林。
二人の兄弟は、日本の版図の両端で、死の影に怯えながら生きていました。
信太郎は、戦地で健次の安否を案じ、夜空を見上げては「南十字星というやつが、あいつを照らしているのだろうか」と、見たこともない星に祈りました。

1945年(昭和二十年)八月。
終戦。

信太郎は奇跡的に五体満足で復員しました。ボロボロになった軍服のまま、変わり果てた故郷の土を踏んだ時、彼は真っ先に健次の消息を尋ねました。しかし、健次の消息は杳として知れません。
「あいつは、帰ってくる」
信太郎はそれだけを信じ、焼け残った家を修理し、荒れた畑を耕し続けました。

健次が帰ってきたのは、翌年の春のことでした。
ガリガリに痩せ細り、マラリアの後遺症で震える足を引きずりながら、健次は村の坂道を登ってきました。
庭先で鍬(くわ)を振るっていた信太郎が、ふと顔を上げました。
二人は、言葉を失いました。
「……兄ちゃん」
「……ああ」
それだけでした。男たちの再会に、劇的な台詞は必要ありませんでした。ただ、生きていた。それだけで、すべてが報われた瞬間でした。


第四章:復興と黄金時代(昭和二十年代〜四十年代)

戦後の日本は、憑き物が落ちたような猛烈な勢いで復興へと向かいました。
三十代後半になった兄弟は、今度は「生きる」ためではなく「豊かになる」ために汗を流しました。

信太郎は村で、新しく導入された農業機械を誰よりも早く使いこなし、地域のリーダー的存在になっていきました。健次は再び東京へ戻り、小さな町工場を立ち上げました。
1964年(昭和三十九年)、東京オリンピック。
二人は信太郎の家に集まり、まだ珍しかったカラーテレビを囲みました。
「兄貴、俺たちが生き残ったのは、この景色を見るためだったのかもしれないな」
健次がこぼした言葉に、信太郎は静かに頷きました。

高度経済成長期。兄弟はそれぞれ家庭を持ち、子供を育て、教育を受けさせました。自分たちが味わった「飢え」と「恐怖」を、決して次世代には味わせない。それが、明治生まれの彼らの無言の誓いでした。

信太郎の息子が大学を卒業した日、健次は自分のことのように喜び、高い酒を抱えて村へやってきました。
「俺たちの代は、ずっと走ってきたな」
「ああ。だが、まだ立ち止まるわけにはいかん」
還暦を過ぎても、二人の背中はまだしゃんとしていました。


第五章:黄昏の語らい(昭和末期〜平成)

1980年代。日本はバブル景気に沸き、世の中は便利さと軽薄さに溢れていました。
七十代になった信太郎と健次は、連れ立って温泉旅行に行くのが恒例となっていました。

かつては「長男」と「次男」という明確な上下関係がありましたが、老境に至れば、それはただの「古い戦友」のような関係へと変わっていきました。
湯船に浸かりながら、二人はぽつりぽつりと昔話をします。
「兄ちゃん、あの桑の木の下で捕まえたカブトムシ、覚えてるか?」
「ああ、お前が籠を壊して逃がしたやつか」
「ははは、そうだったかな」

彼らの会話には、もはや戦争の悲惨さや貧乏の苦労は、苦いスパイス程度にしか現れませんでした。それよりも、かつて食べた握り飯の味や、母が縫ってくれた着物の感触、そんな些細な記憶が、彼らの心を満たしていました。

1989年(昭和六十四年)、昭和天皇が崩御し、時代は「平成」へと移り変わります。
明治、大正、昭和。三つの時代を生き抜いた兄弟にとって、新しい年号は少し遠い国の出来事のように感じられました。

「俺たちの時代も、もうおしまいかな」
八十一歳の信太郎が、縁側でそう呟きました。
「何言ってるんだよ。九十、百まで生きなきゃ損だよ」
七十九歳の健次が笑って返しました。


終章:永遠の家路

1995年(平成七年)。
先に旅立ったのは、意外にも年下の健次でした。
冬の寒い朝、眠るように息を引き取ったといいます。

葬儀の席で、八十七歳になった信太郎は、棺の中の弟の顔をじっと見つめていました。
健次の顔は、まるですべての荷物を下ろした子供のように安らかでした。
信太郎は、震える手で弟の頬に触れました。
「健次、お疲れさん。……少しだけ、先に行ってろ。俺もすぐに、追いかけるからな」

信太郎が健次の後を追ったのは、その二年後のことでした。
彼の最期の言葉は、家族に向けた感謝ではなく、誰かを呼ぶような、小さな、けれど確かな声だったといいます。

「おい、置いていくなよ……」

その声は、かつて茜色の空の下で弟にかけた言葉とは逆でしたが、その響きには深い慈しみと、やっと再会できるという安堵が入り混じっていました。


エピローグ:残された風景

信太郎と健次。
彼らは歴史に名を残すような偉人ではありませんでした。
ただの農夫であり、ただの町工場の主でした。

けれど、彼らが繋いだ「手」は、明治から平成という激流の中、絶えることなくお互いを支え続けました。
日本が経験した最大の苦難と、最大の繁栄。
そのすべてを、彼らは兄弟という、この世で最も近く、時に最も煩わしい、けれど切っても切れない絆とともに歩み抜いたのです。

今も、信州の村の墓地には、二人の墓が寄り添うように並んでいます。
夕暮れ時、空がかつてのような茜色に染まる時。
風の音の中に、二人の少年の笑い声が混じっているような気がします。

「兄ちゃん、置いていかないでよ」
「分かってる。しっかり掴まってろ」

その約束は、百年の時を超えて、今もどこかで守られ続けているのです。
 
 
 

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