黄河文明、華夏人と漢民族の起源
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雑記帳 2026年05月02日
落合淳思『「王」の誕生 古代中国文明の戦争・祭祀・階層』
https://sicambre.seesaa.net/article/202605article_2.html
本書の対象は新石器時代から戦国時代までとなり、紀元前6000年頃~紀元前221年までとなります。本書では、紀元前6000年頃以降の新石器時代初中期(集落の出現)と紀元前3000年頃以降の新石器時代末期(都市国家の成長)が原始社会、紀元前19世紀以降の二里頭文化(王朝の成立)と殷王朝(祭祀の盛行)と紀元前11世紀以降の西周王朝(封建制の開始)が初期王朝、紀元前8世紀以降の春秋時代(諸侯の自立外交)と紀元前5世紀以降の戦国時代(専制君主制)が春秋戦国時代と区分されています。本書では対象とされていませんが、秦漢王朝については、秦が極端な独裁制、前漢(西漢)が官僚制と封建制、後漢(東漢)が儒教理念の国家とされています。
黄河中流域で最初の新石器文化は、紀元前6000~紀元前5000年頃の磁山裴李崗文化です。この時点では、集落や墓地で大きな貧富の差がなかった、と考えられています。これに続く仰韶文化では、前半期(紀元前5000~紀元前4000年頃)に集落が大規模化し、その周囲が環濠で囲まれるようになります。仰韶文化の大型住居からは、集落における指導者の出現が示唆されます。本書はこれを、軍事的理由と推測しています。農耕牧畜社会で戦争が本格化するようになった理由として、長期保存の可能な穀物や、「高級品」である家畜が略奪の対象になり、侵略戦争が合理性を有するようになったから、と本書は説明します。この戦争による強い圧力が革新を生み出し、「文明」の出現に至った、との見通しを本書は提示します。黄河中流域では、大集落の出現後に社会の変化が緩やかになったようですが、黄河下流域では、紀元前四千年紀の大汶口文化期に社会の発達が進み、貧富の差も拡大します。大汶口文化の副葬品から、指導者の資質としてまず軍事的要素が求められた、本書は推測します。
黄河中流域では仰韶文化の後に龍山文化、黄河下流域では大汶口文化の後に山東龍山文化へと移行し、大きな集落(都市)が周辺の小さな集落(農村)を支配する構造が出現します(都市国家)。本書は、小集落(農村)の貢納と大集落(都市)の保護という互恵関係と、世襲権力の確立によって、支配が維持されていた、と推測します。ただ、世襲権力とはいっても、実際の血縁ではなく仮想の血縁で結びついた氏族内の継承だった可能性も、本書は指摘します。山東龍山文化では文字も出現していましたが、まだ解読されていません。新石器文化としては「高度に発達した」山東龍山文化で王朝が出現しなかった理由として、青銅器生産技術の欠如を本書は挙げています。青銅器は軍事力や生産力や威信を高めることができます。黄河中流域では、黄河下流域よりやや遅れて、紀元前三千年紀後半に都市国家が出現し、山西省の陶寺遺跡では青銅器生産が始まっていましたが、その陶寺遺跡でも王朝は出現しておらず、さらに別の要素が必要だった、と本書は指摘します。
中国で最初に王朝が出現したのは黄河中流域の二里頭文化で、紀元前19世紀頃と推定されています。本書は二里頭文化において最初に王朝が出現した理由として、各地から多様な情報が集まったことを指摘します。二里頭遺跡は山東龍山文化と山西龍山文化の間に位置し、両者の情報を入手可能でした。さらに、二里頭王朝の「首都」と考えられる二里頭遺跡は、当時長江とつながっていた淮水の支流近くに位置しており、江南地域ともつながっていました。二里頭王朝は100ヶ所ほどの都市国家を支配していた、と推測されています。二里頭王朝では文字は確認されていませんが、後世に残りにくい素材に文字が書かれており、文字によって広大な領域を統治しており、この二里頭王朝の文字が漢字の原型になったのではないか、と本書は推測します。それは、殷代後期に見られる現時点で確認されている最古の文字(甲骨文字)に、現在の漢字の構造すべてが出現しており、完成度が高いからです。
二里頭王朝を滅ぼしたのは、その東方に位置した下七垣文化勢力で、これが殷王朝です。支配体制が、新石器時代末には都市と集落の2段階、二里頭王朝では首都と都市と集落の3段階だったのに対して、殷王朝では都市と拠点と都市と集落の4段階になりました。殷王朝は紀元前14世紀中期に混乱して分裂状態に陥り、紀元前13世紀中期に再統一され、首都も鄭州から殷墟へと移りましたが、この混乱が二里頭文化派と下七垣文化派の内乱だった可能性を、本書は指摘します。殷王朝を滅ぼした西周王朝では、封建制と嫡長子継承が採用されたようです。
こうした古代の権力と社会は、軍事的圧力による革新で発展し、信仰と儀礼によって維持されていた、との見通しを本書は提示しています。信仰は「非科学的」であるものの、そこには一定の「合理性」があり、より「合理的な」信仰の集落がより優れた競争力を有することになった、と本書は指摘します。文字資料によって信仰が分析できるようになるのは、殷代後期(紀元前13世紀後半~紀元前11世紀後半)からです。ただ、この間にも信仰の変化があり、当初は祖先を神格化した「祖先神」と、自然を神格化した「自然神」の両方が祀られており、その上位に「帝(上帝)」という主神(最高神)が設定されていましたが、帝への崇拝が急速に衰退し、祖先神、とくに先王への祭祀のみが残りました。こうした殷代の儀式には、ヒトも含めて動物を犠牲にすることがあったものの、それには王の宗教的権威や軍事的才能を誇示する「合理的」目的もあった、と本書は指摘します。
殷王朝を滅ぼした西周王朝における信仰での大きな変革は「天命思想」で、西周王朝は信仰していた「天」を主神として位置づけ、天─先王─王という神話を構築しました。天命によって周が統治するわけで、この天命思想は後に皇帝制度を支えます。西周王朝では氏族とともに婚姻単位としての「姓」が採用され、「同姓不婚」とされました。氏族は社会集団としての機能を失っていき、世襲貴族が成立する中で、貴族の血縁集団が宗族と呼ばれるようになり、戦国時代には姓も機能を失っていき、宗族やその分家が姓として扱われるようになります。
中国史における一大転機とも言われる春秋時代から戦国時代にかけては、上級貴族の没落、君主への権力集中、官僚制の強化が進み、戦争が激化し、貴族層の没落と対照的に庶民の地位が向上します。領地を慣習法で治めていた貴族層が没落し、成文法が制定されていきます。集権化と官僚制の強化によって大規模な兵の動員が可能となり、戦争が激化します。本書は、戦国時代に戦争が長期化したことも指摘し、防御施設の堅牢さが原因と推測しています。いわゆる諸子百家が戦国時代に出現した理由としては、君主のための政治思想や官僚制のための処世術が流行したことを、本書は挙げています。しかし、多様な思想は現れても、純粋な宗教は出現せず、地域全体で調停機能を有する宗教組織がなったことも、戦国時代に戦争が激化した理由ではないか、と本書は推測します。本書は、戦国時代に直接的起源を有する専制政治が長期間維持されたことに、中国史の特殊性を見ており、それはヨーロッパとも日本とも大きく異なる、と指摘します。
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伊藤貫先生は中国がどういう国か、漢民族がどういう民族か、全然わかっていないですね。
中国は未来永劫、覇権国はおろか先進国にもなれません。
そもそも現在、漢民族と称している民族はまともな民族ではないんですね。
コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族です。
秦、漢の時代までの漢民族はコーカソイドに近かったのですが、三国時代以降は混血が進んでモンゴロイドに近くなりました。 宗教も漢字の発音も変わってしまいます。
特に、隋、唐以降の漢民族の子孫は最下層の植民地人になったので、漢民族の子孫は劣等民族になってしまいました。
中国4000年の歴史というのは嘘です。 昔の漢民族と現在の自称漢民族は全く別の民族です。
現在漢民族と称している民族には歴史も文化もありません。
杜甫・李白の漢詩は素晴らしいですが、杜甫・李白は鮮卑人であって、漢民族ではありません。
中国では唐が終わった後はまともな文化も芸術も文学も科学も生まれませんでした。特に第二次大戦後は酷いです。
中国が何時まで経っても先進国になれないのは中国語が欠陥言語だからです。
漢文は秦の始皇帝の時代から全く進歩していません。
それから現在、中国で使われている語彙のかなりは日本人が明治以降に欧米の文献を翻訳する為に創作した言葉を移入したものです。
言葉が秦の始皇帝の時代から全く変わっていないというのは、文化も思考力も秦の始皇帝の時代から全く変わっていないという事です。
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中国は昔から川筋が一つ違えば完全な異民族の土地で言葉も通じなかったので,共通語として漢文(中国語)を作ったのですね.
漢文(中国語)は始皇帝の時代に完成し,それ以降は全く進歩していません:
中国語は、(上古において)それぞれ別の言語を話していた商人が中原地帯で取り引きを行う片言(かたこと)から生まれた人工的な言語。
しかも、漢末期からの混乱期に、本来の漢族は実質的に絶滅。その後の歴史で、大量に流入した北方民族が改めて中国語を形成した。
つまり、古代中国語と現代中国語には断絶がある。古くから続く漢文(文章中国語)は本来、片言を記録するための記号列であり、そのため品詞の区別や時制など文法の本質的要件を備えていない。当初から言語(話し言葉)とは別の、通信・記録の手段。現代中国語の古語ではない
知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。
どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。
「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。
一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。
言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。
「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。
しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。
ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。
中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。
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中国語を使っている人間は思考ができない,感情が発達しないんですね.
これは中国語が秦の始皇帝の時代から全く進歩していないのが原因です.
中国語を使っている人間は原始人と同じレベルだと思った方がいいですね
エリート以外には作文すらできない:
漢字のみの言語は致命的な欠陥言語だ。要するに大量な漢字を単に覚えさせるだけに子供の成長が費やされ会話の発達が遅れ高度理論の展開など更々不可能にしてしまうのだ。
無駄に大量な漢字を覚えさせることで多くの脳の記憶領域を費やしてしまい、一番重要な『 創造的 』な超高度理論を発展する頭脳領域の余裕などなくなるのだ。
▽明治日本に留学した清国留学生(年間8000人)がもっとも感動したのが、ひらがなとカタカナがあって、誰でも漢字が学べて、すぐに読めるようになることであった
▽漢字の本場、中国では、二十世紀になるまで、漢字には発音記号がなく ただの表意文字だった
要するに,まともな言葉の無い中国人は永遠に原始人のレベルから抜け出せないのです。
これなら中国語を捨てて英語にした方がまだましですね。